監督!名伯楽のミット|僕を救った言葉「人生、必ずチャンスはある」

ポットンけんいち

今回の記事は監督のこと。思いがありすぎて書くのに苦戦してしまいました。

金城眞吉監督の紹介

高校・大学とボクシング部に在籍しアマチュア選手として活躍。
地方公務員(配属先は那覇市消防本部)の傍ら、妻の清子と共に夫婦で興南高校ボクシング部、1998年春より沖尚ボクシング部の練習場兼合宿所たるウインナーボクシング教室を運営したが2014年春に閉鎖。数多くの全日本高校チャンピオン、国民体育大会、高校選抜優勝者を育てた。

ウィキペディアによるとそう書かれているが、、指導者としては、監督の実績として世界チャンピオンの具志堅用高、村田諒太選手(東洋大学)らを指導したことでも有名である。

しかし、監督の本当の紹介は以下の通りである。

  1. 監督は、三度の飯よりボクシングが本当に好きなガンコ親父
  2. 監督は、自腹で自宅にボクシングジムと尞を作って僕らを住まわせたボクシング刑務所の代表である
  3. 監督は、妻の清子さんと一体となって僕らを衣食住から礼儀まで指導してくれた先生である
  4. 監督は、消防士という職業であり、学校の先生ではない
  5. 監督は、すべてボランティアで僕らを育ててくれた
  6. 監督は、教え子みんなから尊敬と感謝での気持ちで「カントク」「オヤジ」と慕われている
  7. 監督は、ヤクザより厄介な沖縄ボクサーを組員とする金城眞吉一家の組長である
  8. 監督は、「人に勝つ前に自分に勝て」とよく言う
  9. 監督は、話が長い。練習時間2時間とすると110分は話しである。
  10. 監督は、暑い夏場の練習、白いランニング姿で指導するが、時々そこから乳首がはみ出ている。

監督の自宅で

さて、監督と会うのは、大学4年の22歳の国体合宿以来だから、10年ぶりくらいだった。

やはり、高校時代は、とても恐ろしい、怖い。
でも気さくなに話してくれた。

まずは、「お父さん、お母さん元気か?」 お前、両親に感謝しているか、そんな風にも聞こえる。そこから始まり、奥さんの懐かしい食事、泡盛を飲み始めた。

やはり、上で書いたように、監督はボクシングバカと言われるほど、ボクシングが好きで ずーと、ずーと、ボクシングの話しをしている。
なんか、とても懐かしいけど、新鮮。僕らも大人になり、社会人になり、東京に出て、試験に挑戦していろんな出来事に遭遇して、 将来の不安、人間関係、仕事、、、など。何色にもいろんな色がある。

しかし、ここに来ると、ボクシング一色。好きなボクシングとボクサーだけの家族が集まっている。
そして、ここでは、僕らの高校時代の昔話から、試合、監督、そして、奥さん、同級生が集合しとても楽しい時間が流れた。

厳しい練習の思い出

「人に勝つ前に自分に勝て」 これが、ジムに貼られている。
思い出す、厳しい練習。
夕方の練習は、夕方5時から7時まで。
その後は、監督が消防署に勤務しているので30分くらい走って消防署に行く。
消防署の消防車を移動して、その空いたスペースを利用してシャドウボクシングとミット打ち。
それが夜10時から11時くらい。

翌朝は、6時から、尞近くの城北中学校グランドで走り込み。
その時も監督は、救急車で病院へ患者運んだあと、その救急車に乗ってヘルメットをかぶり、見事に白衣姿でグランド登場する。
サボってるを見つかると、タイヤ引きマラソンのペナルティーがある。
ジムワークの内容もとても厳しい。普通の高校生の2倍は練習する。プロボクサーレベルだ。
スパーリングという実践練習もほぼ毎日やる。

沖縄で開催された海邦国体で全国優勝した先輩が言ってた。
「俺らは、こんなに練習したら誰にも負けないよ」と。

誰もが同じ気持ちでいる。 寮にも行った。
壁にこう書いてある
「絶対、死なす!」
沖縄的思考で、 相手に絶対負けないという意味である。

恩師からの言葉

僕は、普通の選手でしかなかった。
けど、僕は、高校卒業するときに、監督から個人だけトロフィーをもらった。

監督から、
「お前は、結果は残せなかったけど、努力したよ!大学に行ったらチャンスがあるから頑張れ」
拳を見せて、「これだけが人生でない」とも言ってくれた。

当時から素質のない自分を見抜いていたのはいうまでもない。
そして、今。 何をやってもダメ、司法試験に挑戦するけど、できない。全く結果が出ない。そんな時の自分である。なにも上手く行きそうにない。無気力。そんなどん底に落ちているときに監督と会った。

ボクサーでいうとダウンを取られて今、正に棄権のタオルを投げようか迷っている状態である。
当時なら、苦しい時にこそ前に出ろといいうのだろう。
けど、逆で、優しく声をかけてもらった。

「人生、必ずチャンスはある」
「日高、お前は下手クソなんだから、上手くやろうとするな」と。

「勉強でわからなくなったら、俺に聞け」と冗談も言ってくれた。
そう、監督は、人をやる気にさせる名トレーナーなのである。

沖縄の母校に帰ってきて、ジムに来て、仲間に会い、そして恩師(オヤジ)に会い、奥さん(オフクロ)に会った。この練習場で、この監督からボクシングを習ったんだ。僕は。

そして、 監督は、本当にボクシングが好きで、僕らと本気で接している。
僕は、本気で法律の仕事が好きか?
そう考えた。

もう一度、東京に帰ってやり直そう。
「人に勝つ前に自分に勝て」そう、一念発起した。

僕は、翌日の便で、東京へ戻った。