【どん底】絶望的な不合格記録を振り返る

ポットンけんいち

平成10年から受験して
平成11年
平成12年
平成13年
平成14年
平成15年
平成16年
平成17年
平成18年
平成19年
平成20年 まで、
正確には11回も試験に落ちた。

10年連続不合格で何を感じるか

10年連続不合格で何を感じたのか。

悔しさ、コンプレックス。 それしかない。

周囲の友達は、どんどん合格していき、司法研修所の楽しい話しや就職した事務所の話し、弁護士の実務の話しなどは、 とてもとてもうらやましく感じた。

やる気が出ずに自暴自棄になるばかり

しかし、僕自身は、やる気もなく。勉強も手につかず。

公園で一人酒を飲んで見たり、自転車に乗っていけるとこまで行って見たり、 自習室を変えたり、別の予備校に行ったりした。

時間ばかりが過ぎて、自暴自棄になっていくばかり。
何を隠そう、僕自身、択一という一次試験に合格できなかったのだから。

通常、司法試験というのは、択一試験という一次試験には当然に合格して、論文試験という 二次試験が天王山で、そこで合格できないのが通常なのだ。
しかし、僕は、前座である択一試験にも合格できなかったのだ。

家族への思い・葛藤の日々

両親も祖母も心配して「沖縄へ帰って来い」
兄弟からも「夢など追いかけずに、いい加減に諦めてほしい」

妹から仕送りをしてもらっていたのだが、妹は、深夜にコンビニでアルバイトをして仕送りをしていたのだと妹の勤務先の社長から聞かされた。

諦めなければいけないかと悩んだ。
でも、諦めたくない。
その葛藤の日々が続いた。

何をやっても下手くそな自分。

学生時代の自分を振り返ってみると…

ふと振り返ると 高校、大学とボクサーとしても頑張った。

でも、特にこれといったタイトルもなく活躍できず終わった。 国体には3回ほど出場した。
関東大学リーグ戦も出場した、沖縄の先輩が多く所属したプロボクシングの名門 帝拳ジムにも通い、世界タイトルマッチに挑戦するボクサーのスパーリングパートナーもした。
当時のスパーリングパートナーだった選手も新人王になったり、日本チャンピオンになったり、活躍していく 一方で僕は、勝ったり負けたりだった。

ボクシングで最後の試合は、鹿児島県で開催された国体。 判定で負けた。
帰りにサーティーワンアイスクリームを食べた。
減量の時にあんなに食べたかったのに。これで引退しよう。これでアイスクリームは、好きなだけ食べていいのだ。と思うと何だか泣けてきた。

択一試験すら受からず、無気力・どん底からの沖縄へ

司法試験に挑戦するも合格できない。 択一すら受かっていない。。。 どうしたらいいのだ。 どうしようもない。 ネガティブな思考が続いた。 何をやるにも無気力。 どん底。

一旦沖縄へ帰ろう。
妹が、地元のいいホテルを予約したからという連絡があったので、 沖縄へ戻ることにした。

なぜか、僕の原点である興南高校に行こうと思った。
そして、ボクシング部のあるwinner ボクシングジムへ。

そして、恩師である金城真吉監督に会いたいと思った。

ポットンけんいち
【L-Base|エルベース】沖縄県宜野湾市大謝名のシェアオフィス&コワーキングスペース
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