僕の依頼者で、身寄りもなく、県外から沖縄に移住してきた方がいました。
数億円の資産がありながら、配偶者や子はいないとのこと。自分に子供ができなかったことをとても悔いている一方で、もし自分に子供がいたらこのような資産は築けなかったとも言っていました。
「謎多き依頼者」
この依頼者は突然、私の事務所を訪ねてきて事務所の入り口で座り込みを始めました。私に対して「どうしても成年後見人になって欲しい」と言うのです。詳細な理由は不明ですが、依頼者自身で僕のことを詳細に調べた上で訪ねてきたことだけはわかりました。なぜなら、私のことを詳しく知っているからです。
とはいえ、僕自身も依頼を受けるにあたり、不安やリスクが頭をよぎります。謎多き依頼者だったので。
打合せの時間も通常より多めに、雑談も多くしました。数日間、食事会なども交えながら話し合う時間を取りました。あとは、私の職業的な勘を頼りに、またこの依頼者の家族となるつもりで、様々な受任をしました。依頼内容は、本人の財産を管理する契約、認知症になった時に後見人になる契約や、死亡した後に葬儀や遺品の整理をする死後事務委任契約などです。
さて、「今後財産の承継はどうする?」
この依頼者は、自分の財産を沖縄の子供たちへ渡したいという強い気持ちを持っていました。
自分に財産があるのは、子供がいなかったから。だから、沖縄の子供たちへ財産を承継させたい、という強い気持ちです。どこにどのように承継させるかどうかを詳細に検討し、遺言書に記入すること。
寄付という方法もあります。ただ寄付するにしても、団体の性質や寄付金額、資金使途なども寄付する側が決める必要があります。今回は、寄付先が大きな課題となりました。
依頼者が自身で築いた財産ですから、それを誰に(どこに)引き継ぐのかを、依頼者自身でしっかりと検討することが必要です。そもそもこの依頼者はまだとても元気だったので、結論を急がなくてもいいのではないかと思って、私も少しゆとりを持って対応していました。
「突然の出来事」
しかし、その検討をしていると途中で、依頼者が脳梗塞で突如倒れ、判断の是非を判断できない状況になりました。その後はしばらく余命をまっとうしましたが、残念ながら他界しました。
悔いとして
当職は、依頼者に対して、もう少し積極的な提案をしておくべきであったのでは?
例えば、暫定的にでも意思を明確にした書面を残しておいたら良かったのでは?
私が、故人の意思を推測するとき、反省も含めていろんなことが頭をよぎります。もっといい手伝いができたのではないかと。
高齢者はいつ何時病気に罹患するかわからないし、判断能力の低下はもちろん、突然意思疎通が困難な状況になることも訪れます。
一方で、一度決断した意思決定を簡単に撤回することなんて、よくあることです。
「数億円という財産の帰趨」
結局、生前に承継先を明確にできなかったその依頼者の遺産は、民法という法律に従って相続されることになりました。民法によると、まずは、配偶者、そして①子②親③兄弟という順番になりますが、依頼者に配偶者や子等(①②③)がいませんでした。そこで、登場したのが③の子供です。
依頼者本人からするとお父さんが一緒で、母を異にする異母兄弟です。異母兄弟にも相続権がありますが、通常は疎遠か犬猿の仲です。しかもその子供です。
結局、遺産数億円が疎遠な異母兄弟の更に子供という親族へ相続されました。
このような場合、「笑う相続人」と揶揄されることがあります。資産家の「死亡」という偶然の事情で、多額の遺産を承継するからです。
私が今に思うこと
今回、遺言書の作成に依頼者と私が慎重になりすぎたため、結果的に遺言書の作成ができなかったことが悔やまれます。
遺言書は、後日作り直すことだってできます。判断能力がはっきりしている時に、自分の生き方、財産の承継について明確にしておくことがとても大切だと感じます。
「笑う相続人」の未来
実は、これまで「笑う相続人」には何度かお会いしてます。
この笑う相続人が数年経過した時どのような人生になっているのかは、想像にお任せします。私がお会いした方は、働く意欲を失い、退職し、昼間から遊興費に浪費し、アルコール中毒になり、最後は、飲酒運転で事故を起こした方もいます。また、知人に誘惑されて起業しましたが、破産に至った方もいます。
築いた財産をどのように生かすのかは、本人次第です。できれば「素敵に笑う相続人」を多くみたいものです。そのためにも司法書士がするべき助言は明確にするべきだと反省しています。
それが依頼者の「死」を前提とした話し合いだとしても。
そんな感じです。
いつでもお気軽のご相談ください。
「きっと明日はいいことがあるさ!」司法書士の日高憲一でした。
PS最近、新聞記事で遺言書による寄付を見かけたので書いてみました。
レスター司法書士法人
代表司法書士 日高憲一